その艦娘とはこちら
初春型4番艦「初霜」です。
史実においては、
奇跡の作戦「キスカ島撤退作戦」に参加したりと緒戦をくぐり抜けた
歴戦の艦であります。
ちなみに初春型とは特型駆逐艦の後継艦です。
「吹雪」~「電」までが特型駆逐艦なのでその後継艦ですね。
「初霜」に関するエピソードと言えば、坊ノ岬沖海戦だと思います。
坊ノ岬沖海戦とは、
あの戦艦「大和」が沈んだ帝国海軍最後の海戦のことです。
「大和」を含む多くの艦が沈んだこの海戦を
「初霜」は、ほぼ無傷でくぐり抜いてます。
あの奇跡の駆逐艦「雪風」ですら損傷した海戦で、
それを凌駕した戦いをしたそうです。
「大和」の通信機が壊れた時、「初霜」は「大和」から通信を
受け取って、それを各艦に流したのですから、雨のように降り注ぐ
敵機の攻撃をかいくぐったことになりますね。
海戦終了後は「矢矧」「浜風」の乗員の救助にあたってます。
最後は京都の宮津湾で、アメリカ機によって敷設された機雷により
大破し、海岸に擱座・着底しました。
奇しくも、「雪風」が触れた機雷と同じ機雷に「初霜」が触れ
大破となりました。
「雪風」が「初霜」の運を吸い取ったようなことも言われますが、
私は「初霜」が「雪風」を守ったのだと勝手に解釈してます。おっと、長くなりましたね。
さて、艦これにおいては真面目で優しい性格であり、
多くの提督を虜にしておりますw
そんな「初霜」ですが、
レベル70で改二となります。
ここにレベル70の「初霜」がおるじゃろ?
これを、こうじゃ
はい。初霜改二となりました。
運の値ですが、坊ノ岬沖海戦の武勲を考慮されてか53と高めです。
強化していけば、「雪風」を上回る運の値になるみたいです。
ただ、それ以外の値はちょいと低めです。
まぁ、火力バカの「夕立」が異常なだけでしょうがねww
さて、「初霜」に関することでもう一つ書きたいことがありまして。
それは『戦艦大和ノ最期』という著書に書かれていることでして、
それによると
「駆逐艦「初霜」の救助艇の指揮官が、「大和」乗員救助の際に、
救助艇にしがみつく生存者の手首を日本刀で切った」
という旨の記述があるそうです。
これに関しては多くの疑問矛盾が存在してまして、
まず、「初霜」は「大和」の生存者救助にあたってません。
さらに言うと、日本刀で人の骨は切れません。
仮に切れたとしても何人ものそれを切ることはできません。
あと、救助艇しかも救助者が多くひしめき合う船上で
そんな力強く刀を振り回せるでしょうか?
その他、その当時の海戦参加の乗員の証言なども
かの矛盾を指摘しております。
この著書は新聞のコラムにも記載されており多くの人に誤解を
与えるような形になってましたが、
著者は訂正せずこの世を去っております。
「戦争の悲惨さを描いただけ」
と言われればそうかもしれませんが、
濡れ衣を着せられたものはどうでしょうか?
いくらフィクションとはいえ、やりすぎというものです。
このことに関して、
私は知識も何もないので言いようがありません。
当時のことも、どうであったかは、今となっては
知る由もありません。
ただ、多くの命が失われていく戦争で、
数少ない命を救ってきた武勲艦・乗員を謂れもないことで
悪く言うのは、いかがなものかと思う次第であります。
おっと、またまた長くなりましたねw
いやぁ、なんだか「初霜」の話を知った時は胸が熱くなったので、
ついつい長くなってしまいましたw
では、最後に「初霜」の遺品に関することです。
現在、「初霜」の錨が東京都墨田区にある山田記念病院に
飾られてます。
「山田記念病院」とググれば普通に画像が出てきます。
HPにあるロゴも錨の形です。
なんでも「初霜」の軍医を務めてた方が開いた病院らしいです。
数少ないながらも決して少なくない多くの命を救助してきた駆逐艦「初霜」は平成の今でもなお、多くの命をつなぎ止める錨となって命の現場である戦場で戦う人達を見守っていてくれています。長々と失礼しました。
では ノシ